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研究活動

USJI Voice

USJI Voice Vol.25

トランプ政権の誕生と日米安保協力

2017.04.10
Akaneya_Tatsuo
赤根谷 達雄
筑波大学 教授

トランプ大統領が就任してから2カ月余りが経過したが、なかなか主要官庁の閣僚・上級職の人事が進まず、新政権がどのような対外政策を展開するのか具体的な姿は見えていない。ただ大統領選挙の際のトランプ発言からすると、これまでの政権とは異なった路線を打ち出しそうである。トランプ大統領の就任演説は、世界の自由や民主主義といった崇高な理念を謳うのではなく、米国の利益を第一に考え、守る決意を繰り返している点に特徴がある。

ブッシュ(子)政権の時の米国は、「反テロ戦争」を掲げ、イラクやアフガニスタンで戦争を行い、また民主化を旗印に軍事介入を進めていった。しかし今日、米国が介入した多くの地域は泥沼状態にある。犠牲者とコストがかさむにつれ、オバマ政権は「米国は世界の警察官」ではないと発言し、孤立主義へ傾斜していった。この傾向はトランプ大統領にもみられる。しかしオバマ政権と異なり、トランプ大統領は、米国の軍事力の強化を謳い、国益に合致する場合は断固として国際的に関与するという姿勢を示している。

大統領選挙戦の最中、トランプは日本を応分の負担をしていない同盟国として名指しして批判したが、トランプ政権誕生直後に行われた安倍首相との会談で、そのような誤解は取り払われたように思われる。会談の後に発出された日米共同声明では、日本の「負担不足」を批判する文言は見られず、日米同盟は「アジア太平洋地域における平和、繁栄及び自由の礎」であると謳われ、また日米安保条約5条が尖閣諸島に適用されることが書面で明記された。米国は伝統的に第三国間の領土問題には関わらない政策を維持しており、尖閣についても領有権の解釈については立場を明らかにしていないが、尖閣が日米安保条約の適用対象であるという点について書面でコミットした点は画期的である。

同盟の基礎にあるのは互恵互助原則

日本の防衛「ただ乗り」を批判した大統領選時のトランプ候補は日米安保協力の実態をほとんど知らなかった可能性がある。安倍首相のこのたびの訪米では、大統領と長時間会話する機会がもたれ、誤解が解けたのであろう。しかし、日米安保に基づく日本の貢献は、米国の軍事・外交当局者はよく分かっていても、一般の米国人にはあまり知られていない。いくつかの理由がある。

日米同盟が理解されないひとつの理由は、いわゆる「片務性」である。すなわち有事の際、米国は日本を助ける義務を負っているのに、日本は米国を助ける義務を負っていないという片務性である。この非対称性を耳にした米国人は、「そのような同盟などありえるのか」と訝ることだろう。なぜなら独立国家間の関係は相互主義を基本としており、同盟は互恵互助の基礎の上にあるのが大前提だからだ。

第二次世界大戦以降、米国が結んだ同盟は、国連憲章に定める集団的自衛権に基礎づけられている。日米安保も例外ではない。しかし日本政府は「集団的自衛権」に基づく米国支援―特に海外における支援―を忌避してきた。そこで、日米安保条約では、条約の適用範囲を「日本国の施政の下にある領域」と限定し、有事の際には、米国は集団的自衛権に基づき日本を助ける義務を負う一方、日本は個別的自衛権に基づき米国に基地を提供し、また自国防衛によって在日米軍基地を防衛する義務を負うという一見奇妙な「相互」安全保障条約となった経緯がある。

戦後日本の安全保障政策を縛ってきたのは米国の占領軍GHQが起草した「平和」憲法である。同9条は、日本は交戦権を放棄し、陸海空その他の戦力はこれを保持しないと定めている。しかし朝鮮戦争の際、GHQのマッカーサーが日本政府に再軍備を指示し、今日の事実上の軍隊である自衛隊の保有に至った。冷戦期を通じて、自衛隊と日米安保の合憲性は、政権与党の保守陣営と野党革新陣営との最大の内政上の争点であった。

この憲法論争が政治レベルで解消ないしは緩和されたのは、冷戦が終焉し、それにともない国内冷戦が終わった1990年代になってからである。自民党の分裂・下野、55年体制の崩壊、自民・社会・新党さきがけの連立による村山政権の成立などの紆余曲折を経つつ、社会党の党首であった村山首相は同党の政策を大転換し、自衛隊と日米安保を受け入れる決断をしたのである。しかしながら、2014年7月、安倍政権が集団的自衛権の行使を認める閣議決定を行い、翌年、その法制化を行おうとしたところ、かつての反安保闘争を髣髴とさせるような反対運動が巻き起こった。新安保法制は「戦争法案」であり、「立憲主義」が危機にさらされているという主張がよく聞かれたのは昨今のことである。

新安保法制で新たに規定された集団的自衛措置は、限定的条件においてのみ発動される。すなわち「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合にのみ発動される。このように限定的となったのは、政権与党として連立する公明党の慎重姿勢のためと言われている。このように限定的なものであっても、この法案の成立・施行は、今後の日米間の安保協力の基礎となりうるものである。この法案を作成した時点で、安倍政権がトランプ大統領の誕生を予期していたわけではないが、互恵的取引を重視するビジネスマン大統領時代の日米関係の維持のためには、時宜にかなったものであった。

日本の「一国平和主義」脱却の必要性

第二次世界大戦後の日本の安全保障政策は、憲法9条、新旧の日米安保体制、国際安全保障環境と対米関係、国内政治、日本人自身の戦争の体験・記憶・反省といった様々な要素によって規定されてきた。日本が本格的な再武装を控え、安全保障を日米安保体制に依存し、特に海外への自衛隊の派遣を忌避してきたのは、憲法9条の制約もさることながら、それ以上に、戦争体験に基づく反戦感情に起因していたものと思われる。日本は極力「海外での軍事的関与」を忌避してきたのである。一方、憲法9条を与えた米国こそ、冷戦状況下で日本政府に再軍備を指示し、自衛隊を育て、冷戦後は、多国籍軍・有志連合への協力や地域紛争へのPKO派遣を催促してきた当事国であった。歴代の日本政府は、日本国内の反戦・反軍感情と対米関係の維持のはざまで、安全保障政策を追求してきたといってよい。

集団的自衛権の行使違憲の判断は、1981年の閣議決定以来、歴代の自民党政権の下でも踏襲されてきた。集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利をいう」と内閣法制局は規定し、この規定は『防衛白書』などでも近年まで用いられてきた。この規定の文言は、「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず」、(わざわざ)「他国を守るために」、(おせっかいにも)「軍事力を行使する」という否定的ニュアンスが見て取れる表現となっている。「日本国憲法上、個別的自衛権のためですら最小限の実力しかもてないはずの日本が、そのような他国防衛のための集団的自衛権の行使など本来ありえない」というのがそもそもの発想であったと思われる。

しかし、元来、集団的自衛権とは中南米諸国の相互防衛を定めた地域機構の創設を国連憲章内で受け入れるための規定であり、中南米諸国が上述のような否定的意味合いで「集団的自衛権」を理解していたわけではない。国連の集団安全保障概念自体、「平和は不可分」―世界のどの1国の平和の破壊も、世界全体の平和の破壊に他ならない―という理念のうえにたっている。つまり他国への侵略は、他人事ではなく自国の問題として捉えるべきであり、そのような考えのもと被侵略国を世界全体で支援しなければ平和は保たれないという考えに立っているが、このような国連創設期に謳われた集団安全保障の理念・考え方と、「集団的自衛権」に基づく地域的安全保障機構の理念とは整合性があるのである。

しかるに日本の革新陣営の大多数は「集団的自衛権」を否定的に捉えている印象を受ける。いろいろな理由があるが、過去、米国やソ連といった大国が自国の戦略的利害から外国に軍事介入した際、集団的自衛権がその「口実」にされたケースがあること、集団的自衛権は「自衛」というよりは「他国防衛」の権利であり、それを国家固有の権利とするのは適切ではないといった理解があると思われる。また特に日本に関して言えば、「超大国米国は地球規模で軍事介入を繰り返してきたが、日本が同盟国ということで集団的自衛権に基づきそのような戦争へ加担することを求められたらたまったものではない。従米的な自民党政権はワシントンの要請は断れないだろうから他人の戦争に巻き込まれることになり危険極まりない」というような思考パターンがあると思われる。

このように集団的自衛権を否定的に捉え、その行使を忌避してきたことにもかかわらず、実際には、日本は旧安保条約を締結して米軍基地を受け入れた時点から、集団的自衛権の行使を行ってきたとの解釈もなりたつ。基地の提供は、重要な集団的自衛権の行使そのものである。それを示すのがアイスランドのケースである。同国は、ワシントンD.C.とモスクワを結ぶ最短経路上に位置しており、冷戦期の米国/NATOにとって戦略上きわめて重要な位置を占めていた。近代的軍隊をもたないアイスランドは、この地政学上のメリットを生かし、もっぱら基地の提供という形でNATOへの貢献―つまり集団的自衛権の行使―を行ってきたのである。

有事に基地機能を提供した場合、その国は「中立国」ではありえず、敵対国の攻撃を受ける危険がある。つまり基地機能の提供は戦争に加担し、当事国になるという意味がある。したがって基地機能の提供は、直接戦闘に加わらなくても集団的自衛権の行使そのものである。その意味で、冷戦期そして冷戦の終焉以降も、日本が米国に基地の提供を行ってきたことは集団的自衛権を行使してきたことに他ならない。しかも日本にある米軍基地は米軍の世界展開を可能にする巨大なロジスティクス基地という性格があり、他地域にある米軍基地とくらべても、その規模は圧倒的である。戦後ながらく日本国民のあいだでは戦争への関与や巻き込まれを忌避する感情が強く、またとくに進歩勢力のあいだでは基地提供を含む米国への軍事支援にたいしてはとりわけ否定的であったために、保守政権が「基地提供」と「ホストネーションサポート」を同盟への貢献として宣伝することは意図的に控えられてきたように思われる。そのために、同盟への日本の「大きな貢献」は、実情を知る米国政府の当事者以外には伝わらなかったのである。

軍事技術が発達した今日の世界では、一国による安全保障はもはや成り立たない。北朝鮮の核ミサイルに対する防衛は日本一国では到底できない。自衛隊の軍事システムは米国の提供する地球規模のシステムに依存している。米国も、アジア太平洋地域を含め、地球規模での安全保障上の取り組みにおいて、日本が提供している基地機能に依存している。日本の横須賀を事実上の母港とする第7艦隊が、太平洋上の国際日付変更線以西、西太平洋・インド洋までを担当海域としていることからもうかがわれるだろう。

今日のアジア太平洋地域の安全保障環境では、日米の脅威認識と戦略利害はほぼ一致している。米国にとり尖閣問題は、本来自国の利益とは直結しない問題である。それにもかかわらず、米国が尖閣防衛のコミットメントを行った理由は、同問題が、台頭する中国による東シナ海や南シナ海の領海化・要塞化の問題と連動しており、台湾・アジアの平和とも深く関係しているという認識が高まったためであろう。それは米国の国益とも直結しており、「米国第一主義」のトランプ政権にとっても「死活的利害」を有するものであ。このように戦略的利害が日米間で一致する度合いが高まった結果、たとえ尖閣で米国が「巻き込まれ」ても、自身の利害の関係のない紛争に「巻き込まれた」とは受け取らないだろう。尖閣への日米安保の適用に米国がコミットメントした背景である。日米の安保協力を強化することは、潜在的対立国との武力紛争の危険を高めるわけではない。むしろそれは、抑止力を高め、紛争を未然に防ぐことになる。日本は、アジア太平洋地域の平和と繁栄を維持するためにも、内向き志向の「一国平和主義」から脱却し、自助努力とともに、日米間の安保協力の内容を実質化していくことに努めるべきだろう。

 

 


USJI Voiceは、USJIの連携大学の研究者による政策関連オピニオン・ペーパーです。USJI Voiceでは、日米関係やその関連トピックに関心のある専門家の方々に向けてさまざまな記事をお届けします。
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