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研究活動

USJI Voice

USJI Voice Vol.29

革新的ベンチャー企業促進に向けた政府の役割

2017.09.12
Yamaguchi Eichi
山口 栄一
京都大学大学院教授

1. 日本におけるイノベーション・モデルの喪失

21世紀に入り、日本のサイエンス研究が停滞している。日本からの学術論文の発表件数は足踏み状態で、飛びぬけて多い発表数を誇る米国、急伸する中国を圧倒的に下回っているのはもちろん、英国とドイツに比べてもその停滞感は顕著だ。

トップ100分野について内訳をみると、応用物理学や材料科学、物性物理学や分子生物学など61分野で減少しており、これらの減少している分野は産業に直結するサイエンス研究に他ならない。背景にあるのは、90年代後半に企業がサイエンス研究から遠ざかった結果、有能な若者たちがそれらの分野に希望を失ってその道に進まなかったためという仮説が成立する。
日本企業は60年代に、基礎研究を手がける中央研究所を次々と設立した。手本としたのは、AT&TやIBMなど米国大手企業の研究所であった。当時の日本では研究開発費の8割を民間企業が拠出しており、その核にあったのが中央研究所だった。

ところが90年代後半になると、日立製作所やNTT、NEC、ソニーといったハイテク大企業が次々と中央研究所を縮小させ、基礎研究から撤退した。組織上は存続し、研究開発費は減らさないまま、人員削減や研究テーマの大幅な絞り込みが行なわれ、科学者・技術者の多くは研究の最前線から離れた職場へ配置転換された。これも手本は米国の株主重視の経営で、AT&TやIBMなどが相次いで長期的展望を要求される基礎研究から撤退したのにならったのである。

2.SBIR制度という新しいイノベーション・モデルの誕生

こうして日米ともに、90年代に中央研究所を中核とするイノベーション・モデルが終焉した。ところが、それに代わるイノベーション・モデルを米国は創造し、日本はその創造に失敗した。何が起きたのだろうか。

それは、米国政府が82年、SBIR(スモール・ビジネス・イノベーション・リサーチ)という制度を創設したことに端を発する。国防総省(DoD)や健康福祉省(HHS)、エネルギー省(DoE)をはじめとする連邦政府のすべての省庁が、若い無名の科学者に資金を与えて起業を促すもので、これまでに4万社を超えるベンチャー企業を輩出している。

この制度には、いくつかの際立った特徴がある。第1に、連邦政府の外部委託研究費の一定割合をこの制度に充当するよう、法律で義務づけている点だ。その割合は徐々に上昇しており、2017年度は3.2%、金額にして2000億円以上が投入されている。

第2に、ベンチャー企業を3段階で育成する周到な仕組みがある点だ。SBIRに選抜されるとフェーズ1で10万ドル程度、フェーズ2で100万ドル程度の「賞金」(SBIR Award)が与えられ、この「賞金」がスタートアップ時のリスクマネーとなる。フェーズ3になるとベンチャー・キャピタルが紹介され、新たな資金や、経営面での適切なアドバイスを得られる。
さらに国防総省など実施省庁によっては、研究成果の製品を政府調達の対象として買い上げていることも特筆に値する。科学者が創出する技術や製品はそれまで存在しなかったものだから、当然ながら市場もまだない。この段階で政府が買い上げることは、市場そのものを創るに等しく、企業成長に弾みをつける効果がある。

こういった特徴から明らかなのが、サイエンスによるイノベーションをめぐっては「市場の失敗」が起こりやすい、という理解を基にSBIRが設計されていることだ。基礎研究から始めて技術や製品を具現化することはリスクが大きい。このため、企業や投資家など市場経済のプレーヤーにまかせていては、必要な投資が行なわれないことがしばしばある。そこで、政府が国税を費やして、若き無名のサイエンス・イノベーターたちを資金的に手助けし、「死の谷」を越えさせるのである。

3.日本版SBIR制度とその失敗

一方、日本も米国のSBIRにならって、99年に中小企業技術革新制度、通称日本版SBIRを創設した。だがこの制度は、既存の中小企業の経営を補助金で支援するものであって、米国のSBIRが、若き科学者たちをイノベーターに変容させることを通じてまだ世にない技術・製品と企業を生み出すべく創設されたのとは根本的に異なる。

日本版SBIRに採択された企業とされなかった企業の売上高の変化を2006~11年の5年間で比較すると、採択された企業は1社平均約2億円の減収だった一方、されなかった企業は約0.7億円の増収だった。SBIR被採択企業のほうが、パフォーマンスが低いのである。これは、もともとパフォーマンスの低い中小企業に補助金を重点的に与えたと考えるほかはない。

日本には「若き科学者をベンチャー起業家に転ずる」という発想がなく、既存の中小企業に補助金を出すだけの制度に堕してしまった、ということは、「出自分析」によっても示された。「出自分析」とは、日本版と米国版のSBIR 制度の助成を受けた代表者の出自学問分野を、それぞれ調べてみるのである。すると、日本版SBIR 制度に採択された企業の代表者のうち博士号を持っているのは7.7%に過ぎないが、米国版SBIR 被採択企業の代表者の74%が博士号を持っていることが分かった。

しかも、基礎科学の博士号を持っているかどうかが、決定的に違っていた。日本では、7.7%の博士号の内訳は工学博士・農学博士・医学博士だったが、米国では、74%の博士号の内訳は、化学・物理学・生命科学の理学博士など純粋科学の博士号がマジョリティを占めていた。すなわち米国では、本来ならば大学に残って純粋科学の研究者になってしまうような無名の若者に、SBIR でインセンティブを与えてベンチャー企業をやってみないか、と呼びかける発想であるということだ。

4. 新しいイノベーション・モデルに向けて

イノベーションを起こすには、私が提言しているイノベーション・ダイヤグラムに示している横軸の「知の創造」と縦軸の「価値の創造」の両方の連鎖が重要である(図1)。

もともと「科学」の知があり、このパラダイムにもとづいてこれを価値付けるものとして「技術」がある。「技術」は「科学」を価値付けることで生まれるもので、これが出発点である。

われわれは通常、付加価値を与えるために既存技術を発展させようとする。これを「パラダイム持続型イノベーション」と呼んでいる。ところが、「パラダイム持続型イノベーション」は必ず行き詰まる。

行き詰まったらどうするか。そのときは図1に示すように、「科学」の知に下り立ち、土壌の中で「夜の科学」を実行して(「創発」という)、新しいパラダイムを見つけることだ。すると、その新しいパラダイムから新しい価値を創ることができる。これを「パラダイム破壊型イノベーション」と呼ぶ。

1990年代に起きた「大企業中央研究所の終焉」とは何だったか。それは、イノベーション・ダイヤグラムにおいて土壌の下を切除して捨ててしまうことであった。その結果、「創発」にもとづく知の創造ができなくなってしまって、「パラダイム破壊型イノベーション」が生まれなくなった。

産学連携が本当に機能するカギは、「知の創造」と「知の具現化」とのアクターの実存的欲求を伝え合う「共鳴場」の存在である。米国版SBIR では、技術を生み出した人あるいはそのチームメンバーが新しい会社を作ることで「共鳴場」がリアルに存在する状況を実現させた。

いまや、たとえば物理学者が物理学だけをやっていては、新しいイノベーションは生まれない。たとえば、物理学と心理学とか、物理学と哲学とか、2つ以上の分野を横断的に飛べる人材が必要なのである。ただしこれは、たとえば経済物理学をやる、といったことではない。大事なことは2つ以上の分野を越境する力をマスターすることであって、私はそれを「回遊」と呼んでいる。

この「知の越境」を体系化するために、学問の俯瞰図を作ってみた。分野知図である。Google を用いて人口に膾炙する学問を39個取り出し、それらの間の距離を、Google Scholar を用いて測定するのである。その結果、図2に示すように中央に10個の学問が星座のように並んだ。数学、物理学、情報学、化学、生命科学、心理学、哲学、経済学、法学、環境学である。


この10個の学問をつなぎ、チームを作り、あるいは一人一人が2つ以上の分野の目利きになる。たこつぼ化している日本で生き残る道はこれしかない。物理学を出た人は、生命科学の人の言葉を理解できない。文系を出た人は、理系の言葉がわからない。そこで、お互いが共鳴し合う場を作る。そして、それぞれが実存的欲求を理解し合いながらブレークスルーを起こす。この「知の越境」の体系的実践こそが、周回遅れの日本を再生させる道にほかならない。

 

【関連プロジェクト】
新産業創造に対してSBIR制度が及ぼす影響の日米比較


USJI Voiceは、USJIの連携大学の研究者による政策関連オピニオン・ペーパーです。USJI Voiceでは、日米関係やその関連トピックに関心のある専門家の方々に向けてさまざまな記事をお届けします。
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