HOME > 研究活動 > USJI Voice > USJI Voice Vol.8

研究活動

USJI Voice

USJI Voice Vol.8

集団的自衛権と日米同盟
―同盟はどのように強化されるのか?―

2015.07.06
細谷 雄一
慶應義塾大学 教授

 2014年7月1日に安倍晋三政権において、集団的自衛権の部分的行使容認を含めた安全保障法制に関する閣議決定がなされた。これは、日米同盟の強化のためには不可欠なことと長い間指摘されてきたことであり、これにより日米同盟が深化することが期待できる。同時に、この問題をめぐって日本の世論の一部からは、従来の平和主義の伝統を覆すものと厳しい批判がなされた。なぜいま、このような安保法制の再検討がなされる必要があったのか、ここでは歴史を振り返りながら考えてみることにしたい。

 この閣議決定は、その少し前の5月15日に安倍首相に提出された安保法制懇(正式名称は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」)の報告書を受けて、政府与党内で検討され合意されたものであった。私は、この安保法制懇の委員として報告書作成にも関わっており、そのような立場からなぜいまこの閣議決定が必要であったのか、またそれによって同盟がどのように強化されるのかについて、検討したい。

集団的自衛権と憲法解釈の変遷

 集団的自衛権が、日本国憲法の制約の下で行使可能なのか、あるいは行使不可能なのか。内閣法制局の判断は揺れ動いてきた。もしも集団的自衛権を日本が保有していないとすれば、そもそも日米同盟は機能しなくなる。他方で、自衛隊が外国で米軍とともに戦闘に加わることは、憲法第9条の制約から考えると困難であった。

 内閣法制局の見解では、日本国憲法が禁止しているのは集団的自衛権の行使ではなく、あくまでも自衛隊の海外派兵であった。1950年代末に、日本がアメリカとの同盟国であるならば、「極東における国際の平和及び安全の維持」のために、自衛隊が海外に派兵しなければならなくなるのではないか、という議論がなされるようになった。それに対して、1959年に林修三内閣法制局長官は、「外国まで出て行って外国を守るということ」は、「日本の憲法ではやはり認められていないのじゃないか」と論じる一方で、しかしながら「経済的の援助をする」とか「基地を貸す」ということを集団的自衛権に含めるのであれば、「こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」と述べている。すなわち、1950年代末から1960年代にかけての内閣法制局の見解は、集団的自衛権の行使の全面的な禁止ではなく部分的容認論をとっており、憲法上不可能だと述べたのは自衛隊の海外派兵であった。そこでは、「行使可能な集団的自衛権」と「行使不可能な集団的自衛権」を分けて考えていたのである。

 それが、国際環境の変化に応じて1960年代半ばから少しずつ変化が生じる。それは、ベトナムと朝鮮半島の情勢であった。1960年代半ばからアメリカは本格的にベトナムに軍事介入をするようになり、日本国内では激しいベトナム反戦運動が展開された。また、1965年に日本が韓国と国交正常化をしたことで、朝鮮半島の有事の際に自衛隊も巻き込まれるのではないか、という懸念が広がっていた。それゆえにこの時期に国会では繰り返し、自衛隊の海外派兵と戦争へと巻き込まれる可能性が指摘され、政府への批判が強まっていた。自衛隊の憲法上の合法性と安全保障上の必要性を国民に説明して受け入れてもらうためにも、政府は次第に自衛隊の目的を個別的自衛権の行使に限定して、自衛隊の海外派兵の禁止することを規定する憲法解釈を確立していく。佐藤政権は、野党の社会党との妥協により予算成立を早期に達成するためにも、憲法上、自衛隊の海外派兵はできないという立場を明らかにした。

 そのような動きの末に、1972年に内閣法制局は、「我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と、はじめて集団的自衛権の行使が憲法上許されないと明確に説明する政府見解を示した。他方でここでは同時に、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るための止むを得ない措置」としてならば武力行使が認められるとしており、その目的のためであれば集団的自衛権の行使の場合であっても憲法上認められるという論理が可能となる。今回の閣議決定が立脚するのは、この1972年の政府見解のこの部分の憲法解釈であった。

二つのガイドライン

 アメリカ政府は、ベトナム戦争後の経済的な疲弊などを理由として、経済大国になりつつある日本がそれまで以上によりいっそう、東アジアの平和と安定のために貢献することを求めていた。アメリカ側が求めていたのは、シーレーンの確保と、対潜能力の強化、防空任務の三点であった。また、有事の際に自衛隊と米軍が迅速に共同対処行動をとれるようにすることも重要であった。そのような背景の中で、1978年にはじめて日米同盟の行動指針となる日米防衛ガイドラインが策定される。

 ところが、自衛隊が米軍を援護するために日本以外の場所で米軍などの他国の軍隊と共同行動をとることは、憲法が認める範囲を超えるとして日本政府は否定的な見解を示すことになる。あくまでも、日本の防衛を守るための個別的自衛権を拡大解釈して、日本周辺のシーレーン防衛を分担するにとどまった。アメリカ政府は、日本の自衛隊と米軍との共同対処行動を強化することで、再び活発化していた極東におけるソ連の軍事活動に対抗しようとしたのだが、そのような試みは挫折する。集団的自衛権の行使が憲法上認められないことによって、日米同盟を緊密化する上での障害が生まれたのである。

 冷戦が終結して、日本の経済力がより大きなものとなると、アメリカ政府は再び日本がよりいっそう大きな安全保障上の貢献をすることを期待するようになる。冷戦後の東アジアでは、ヨーロッパとは異なり、依然として不透明な要素が数多く見られた。とりわけ、1990年代の半ばからは、北朝鮮の核開発やミサイル発射など、日本の安全を直接脅かす事態も発生した。それを受けて、1996年にはアメリカのビル・クリントン大統領と日本の橋本龍太郎首相との間で、日米同盟を「アジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」と位置づける日米共同宣言が発表された。また、この共同宣言では1978年のガイドラインを改定する必要が指摘された。ここでも、ふたたび集団的自衛権の行使容認の必要性が議論されたが、やはり同様に憲法上の制約から内閣法制局はそれが不可能と判断していた。したがって、「周辺事態」という新しい概念を生み出して、個別的自衛権をさらに拡大するかたちで日米両国の共同対処の範囲を拡大した。

 日本が憲法上の理由から集団的自衛権を行使できないことは、日米同盟を強化する上での大きな障害となってきた。それゆえに、2000年に発表された、日米同盟の将来についての超党派の政策提言文書、アーミテイジ=ナイ報告書では、「日本が集団的自衛権の行使を禁止していることは、同盟への協力を進める上での制約となっている。これを解除することにより、より緊密で効率的な安保協力が可能になるだろう・これは日本国民だけが決断できることである」と書かれている。その翌年には9・11テロが勃発して、対テロ戦争においてよりいっそう日米同盟を強化する必要が問われることになった。

安保法制の再検討がなぜ必要だったのか

 2012年12月に成立した安倍政権で、安保法制を再検討することが必要だったのは、東アジアにおいて不透明な要素が増大し、安全保障上の懸念が拡大して、安全保障環境に大きな変化が見られるからである。北朝鮮は韓国や日本に対して挑発的な姿勢を時折見せながらも、南北間や日朝間での交渉は停滞しており、朝鮮半島情勢は不透明性が増している。また、中国は急速な軍拡を続け、南シナ海と東シナ海での活動を活発化させている。さらに、オバマ政権でのアメリカは防衛費を大幅に削減すると同時に、対外的な軍事介入を回避することに努めている。これらが要因となって、日本がアジア太平洋の平和と安定のために、より大きな役割を担うことが期待されている。

 現在国会で議論されている安保法制が実現することで、集団的自衛権が部分的に容認されることになり、日米同盟はよりいっそう緊密化することが可能となる。とりわけ重要な点として、日本政府による米軍への後方支援がより広範に可能になる見通しである。このことは、疑いなく、日米同盟の深化と強化につながるだろう。またそのことは、従来の集団的自衛権の行使の全面的禁止という憲法解釈を部分的に変更しなければ、実現が難しかった。また、今年の4月27日に新しい防衛ガイドラインが作成されたことで、日米同盟はより緊密となり、またグローバルな同盟へと変容していくであろう。

 戦後70周年となり、4月29日に安倍首相がアメリカ議会の両院合同会議で演説を行い高い評価を浴びたことは、これまでの日米同盟の強固な絆を確認する機会となった。今後よりいっそう、日米同盟がアジア太平洋地域の平和と安定のためにの不可欠となる礎石にならなければならない。

ご支援のお願い
  • 連携大学

  • GET UPDATES

    USJIでは、イベント等の情報をメール配信しています。お申込み/配信停止はこちらから。